日本公認会計士協会
気候変動特別講義

気候危機のリスクと社会の大転換

国立研究開発法人 国立環境研究所
江守正多
《ZOOM講義/30分》

《 講義後のインタビュー 》
(実施日:2022年2月14日)

脱炭素化の達成に向けて、社会の「大転換」の必要があると語る江守氏に、気候変動の分野で科学的根拠として用いられるIPCC報告書とはどういうもので、国際的な政策合意はどう社会を変えていくのか、また、気候変動シナリオとはどのようなもので、企業実務においてどのように活用していくか等について、お話を伺いました。

IPCCとCOPの関係性

Q.
温暖化対策の国際ルールを話し合うCOP*においてIPCC*の科学的知見が採用されています。IPCCとはどういう組織ですか?
※COP(Conference of the Parties/国連気候変動枠組条約締約国会議)
※IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change/国連気候変動に関する政府間パネル)
江守
まず前後関係からお話しすると、IPCCが設立されたのは1988年で、最初の報告書は1990年に公表されました。国連気候変動枠組条約が採択されたのは1992年なので、関係としてはIPCCがその条約の採択を促した構図になっています。

一つ大事なことは、IPCCはpolicy-relevantである(政策に関連する)ものの、not policy-prescriptive(政策を規定しない)という原則があり、「政策はこうすべきだ」とは報告書に書かないんです。どうすべきなのかは政策判断として政治的・社会的な合意によって選ばれるものであり、IPCCはその選択の前提となる科学的な知識を提示しています。

よく誤解されていて、IPCCが決めたから1.5℃目標や2℃目標になったと言われますが、そうではないです。IPCCは「1.5℃シナリオではこうなる、2℃シナリオではこうなる、その気温上昇を止めるための対策の規模はこうです」と説明しているだけで、どれを選ぶかはCOPという関係です。
IPCC とは

 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)は、 1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により設立された組織で、現在の参加国は195か国、事務局はスイス・ジュネーブにあります。各国の政府から推薦された科学者が参加し、地球温暖化に関する科学的・技術的・社会経済的な評価を行い、報告書にまとめています。

※IPCCの組織
最高決議機関である総会、3つの作業部会及び温室効果ガス目録に関するタスクフォースから構成されています。
(出典:国立環境研究所)

Q.
IPCCの科学的知見はなぜ信頼されるのですか?
江守
summary for policymakers
非常に包括的であり、かつ透明性の高い厳密なプロセスに基づいて作られているからだと理解しています。

世界中から執筆者を集めて、国、ジェンダー、分野、世代のバランスをとってチームが作られ、報告書のドラフトを3回レビューします。1回目が専門家のレビューで、これは世界中の専門家がたくさんのコメントを送ってきます。2回目のレビューは専門家と政府、3回目のレビューは政府が行います。合わせて何万というコメントに全部対応します。そのプロセスが厳密で、しかも全部公開しているのがすごいところだと思います。

また、summary for policymakers(政策決定者向け要約)は、政府代表団が集まったところで1文1文承認されていますので、参加国全てが認めた科学の評価であり、科学と政府の共同作業によって出された評価であるところが信頼のベースになっていると思います。
Q.
IPCCは研究も行うのですか?
江守
IPCCは、研究そのものは行ないません。世界の研究コミュニティーが研究し、発表された論文に基づいて評価を行います。報告書においては、high confidence(確信度が高い)、medium confidence(確信度が中程度)などが書かれていて、何はどこまで分かっていて、何は分かっていないかも含めて評価をしています。

IPCCが描く5つのシナリオ

Q.
5つのシナリオの中で、発生可能性が高いシナリオはどれかという共通認識はありますか?
江守
確率を付与するような考え方はしていませんので、明示的にそういう記述はしていないです。
考え方としては、シナリオの「どれになるか」というより、「どれにするか」、すなわち人類の集合的な選択の問題であるという話をよく聞きます。政治的な意思によってどれかが選ばれていくという考え方です。シナリオに関する詳しい社会経済の議論は、2022年4月初旬に第3作業部会(WGⅢ:緩和策)から報告書が公表される予定ですので、そちらをご覧いただければと思います。
Q.
シナリオの「中間」が最も発生しやすいということではないのですね?
江守
IPCCの5つのシナリオのうち「中間」(以下図の黄色ライン)は、2021年11月に開催されたCOP26前の時点で、各国の目標が全て達成されたときのペースです。実際には、「目標にしているけれども達成できませんでした」ということもあるので、「中間」もまだ危ういということだと思います。
さらにCOP26以降に宣言された新たな野心的な目標を全部達成した場合、上の図の下から2番目の「低い」になるというのもありますが、今のところ各国が目標を掲げただけです。2030年目標であれば、どうやって達成するかも具体化しているかもしれませんが、2050年などの長期目標は「目指すと宣言しただけ」といった国が多いので、「本当に目標どおりになるならば」という大きなifのついた形で視野に入ってきた、という表現の方がいいかもしれません。
Q.
企業は2℃や1.5℃目標のシナリオをベースにビジネスモデルを構築しようとしています。そのシナリオにおける2050年の社会はどのようになっていると思いますか?
江守
これは様々な考え方があると思います。再生可能エネルギーが主力になっていることは共通すると思いますが、例えばシェアリングやリサイクルなどが発達し、ITで最適制御して、エネルギー需要がものすごく減りつつ便利に暮らせる世界、つまり経済成長とエネルギー消費のデカップリングが起きてうまくいくというシナリオもあれば、再生可能エネルギーの割合がものすごい勢いで増えることでCO2の排出削減がうまくいくというシナリオもあります。または、再生可能エネルギーの割合の増加はそこそこにとどまるものの、大気からCO2を吸収する技術が大規模に実装され、CO2の削減がうまくいくというシナリオもあるわけです。それは本当に様々で、それによって我々の生活がどれくらいドラスティックに変わるかも、いくつかの異なるシナリオが描けると思います。
Q.
1.5℃を目指す「非常に低い」のシナリオでは、2050年頃にゼロ排出となっていますが、これはCO2の吸収源を想定しているのですか?
江守
はい。一番オーソドックスなのは植林です。森林管理で吸収を促進する、農地の土壌に炭素を蓄える、という方法もあります。もっと工学的には大気から何らかの形でCO2を吸収し、CCS(二酸化炭素回収貯留)で地中に封じ込める技術が考えられます。大気からの吸収に植物の光合成を使うのがBECCS(Bio-energy with Carbon Capture and Storage)で、そのほか、化学反応で大気からCO2を直接吸収するDirect Air Captureという技術も考えられています。

しかし、「非常に低い」のシナリオでは、今世紀末には現在の排出規模の半分を吸収することになっていますから、これはすごい状態です。今、40ギガトンという量のCO2を毎年排出しているのですが、その半分ぐらいを大気から吸う産業が世界中にできるということです。もちろんこれは一つの例で、エネルギーの消費が大幅に減る社会が実現すれば、ここまでやる必要はありません。達成の仕方は色々あって今年4月に公表される第3作業部会の報告書で詳しく書かれますので、ご覧いただければと思います。

科学的知見を、経営や開示の実務にどう落とし込んでいけるか

Q.
日本で起こるインパクトの大きい物理的リスクは何だと思いますか?
江守
私の理解の範囲では水害だと思います。日本の水害被害額は、世界1位、2位になる年があります。例えば、2018年西日本豪雨、2019年の台風19号、これが今後も毎年のように起きる、さらに記録的な水害が起きるというのは脅威だと思います。
Q.
企業はIPCCのシナリオを利用して分析するわけですが、IPCCは物理的リスクに関してどの程度の粒度で評価していますか?
江守
リスクに関する部分は、第2作業部会(WGⅡ:影響・適応・脆弱性)から2月末に新しい*報告書が公表予定ですが、すぐに計算に使えるような形で細かいデータが載っているわけではないです。

日本国内の話であれば、むしろ環境省が公表している「気候変動影響評価報告書」が参考になると思います。日本を対象にして書かれた論文を包括的に整理した内容になっています。

あとは、国立環境研究所に気候変動適応センターがあり、そこで日本国内の影響評価や適応策に関する情報を、自治体や事業者に使ってもらえるような形で発信しています。国際的な他国のデータも徐々に整備されていくと思うので、是非、参考にしていただきたいです。現時点で十分に参考になるかは分かりませんが、一つのフォーマルなプラットフォームになると思います。
Q.
ビジネスや経営上の意思決定に科学的知見を反映させていくとき、理解が難しいという問題がありそうです。解決策はありますか?
江守
大きい企業でしたら、気候変動に関しての知見を持つ方を雇っていただきたいと思います。
気候変動の影響は色々な分野にまたがるので、農業、工学インフラ系の土木、健康、生態系など何かの分野で気候変動影響を学んだ人が結構育っているのではないかと思います。一つの分野を極めていれば他の分野の知見を読み解くことも比較的容易でしょう。担当部署にそういう知見が翻訳できる人を雇ってもらうと、そうした学問分野の人が社会に増えていき、好循環が生まれると思います。

また、目標値の2℃や1.5℃は、科学に基づいて社会が決めたことです。人類にとってリスクであるとの科学的知見が積み上がり、国際社会の判断として1.5℃目標が合意されました。1.5℃を目指すなら2050年までに脱炭素を達成しなければならないと理解して、それに沿った経営戦略ができるかは、科学を理解しているかより、世界が転換しようとする動きに乗れるセンスがあるか、積極的にオポチュニティーとして取りに行くマインドがあるかのような気がします。「科学が苦手だから1.5℃と言われても」という話だけではないように思いますね。
Q.
経営者や公認会計士へのメッセージをお願いします。
江守
ビジネス全般に対して、今考えなくてはいけないことは、脱炭素に向かっていったときに「そのビジネスは存在しているか」ということです。世界中が脱炭素化した状態を想像して考えていただく必要があり、今のビジネスを続けながら工場に設備投資して効率を上げCO2の排出量を何パーセント減らしました、ということではないと思うんです。

経営者として、このビジネスは脱炭素化したときにどうなっているかという視点で見ていただき、将来的にこのビジネスはないと思ったら、その時点で大きな経営判断が必要になるんだと思います。そういう判断をして動き出すのは相当勇気が要ることですが、それをしないともっと大変になっていくだろうと思います。是非、そういう視点で財務を見ていただければと思います。

*IPCC WG2 AR6(第6次評価報告書)の要約が2月28日にリリースされました。

《江守正多氏 プロフィール》
1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。2021年より地球システム領域 副領域長。社会対話・協働推進室長(Twitter @taiwa_kankyo)。東京大学 総合文化研究科 客員教授。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」「温暖化論のホンネ」等。

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